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さよなら祥也。19歳の早すぎる死を悼む。~富沢祥也、レース界が失った宝~ - Number Web : ナンバー
グランプリ2年目の富沢祥也選手が、9月5日にイタリアのミサノで開催された第12戦サンマリノGPで転倒、後続のマシンに轢かれる事故で亡くなった。今季3回目の表彰台が期待されるレースでの悲劇だった。
千葉県立匝瑳(そうさ)高校英語科を卒業し、18歳でCIPからWGP250ccクラスにデビューした。チームの本拠地フランスに住みはじめた日に、フランス語で数字の50まで言えるようになった明敏さで、チームスタッフを驚かせたこともある。今年から始まったモト2クラスの開幕戦で優勝し、GPの歴史にその名を記した。19歳という若さと思い切りの良い走りは、将来のモトGPライダーとして大きな期待を集めていた。
母・有希子さんによれば、バイクに乗るきっかけは3歳のときに手にした絵本だった。ポケバイに乗る子供の写真を見て「これに乗りたい」と言ったそうだ。その後、ポケバイからミニバイク、そしてロードレースへと進んでいくが、親に強制されたことは一度もなかった。
「本当に好きだったんだと思う。だから、本人がやりたいと言ってるうちは援助してやろうと思っていた。好きなことをやれて幸せだったと思います。グランプリという舞台に引き上げてくれたチームや関係者のみなさんに感謝しています」
訃報を受け、イタリアに駆けつけた父・輝之さんは涙ながらに語ってくれた。
裏表のない性格が、ライバルのライダーにも愛された。
父が息子に教えてきたのは、「人と目が合ったら挨拶しなさい」ということだった。
その教えを忠実に守り続けた祥也は、裏表のない性格で、チームのスタッフはもちろん、ライバルであるライダーにも、そしてパドックで働くすべての人たちに愛される特異な存在だった。みんなに親しみを込めて「祥也」と呼ばれた。そしてファンも、愛嬌のある笑顔とサービス精神に富んだ人柄に魅了された。
同じように魅了されたいくつものスポンサーが手を挙げ、亡くなる前日には来季の契約も済んでいた。速いだけでなく、誰からも愛された祥也の前途は明るく、間違いなくスーパースターの道を歩き始めたばかりだった。
'03年の故加藤大治郎選手に続き、レース界はまたひとつ大きな宝を失った。その悲しみは、あまりにも大きい。
富沢祥也、12日に帰国 | The Official MotoGP Website
第12戦戦サンマリノ&リビエラ・ディ・リミニGPのMoto2クラス決勝レースで転倒死したテクノマグ‐CIPの富沢祥也が、12日に帰国することが決定した。
MotoGPクラスの決勝レース終了後、日本人ライダーたちは揃って、富沢が緊急治療のために搬入されたリッチョーネ市内の病院を訪問。6日の夜には、父・輝之さん、母・有希子さんが日本からボローニャのボルゴ・バニゴーレ空港に到着し、直接病院を訪れていた。
ここ数日間、チームと家族は、地元警察の現場検証や検死、書類上の帰国手続きに追われていたが、9日の午後、11日にイタリア・ローマのチャンピーノ空港を出発することが決まった。
ご両親は、1日早く10日に出発。お葬式の準備を進め、12日に遺体が到着する成田国際空港に迎えに行く。


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